フランスで乳児用ミルクからサルモネラ菌

 

パリ近郊に住む私の若き友人が12月末元気な男の子を産んだという喜ばしいニュースが届きました。3500g、51,5cmだそうです。大きいですね。

さて、そんな赤ちゃんを持つお母さん方に心配な事件がフランスで持ち上がっています。大手乳製品メーカーの乳児用の粉ミルクがサルモネラ菌に汚染されていたというのです。

この話はやや複雑です。去年8月大手メーカーのLactalisが自社で行った検査で、サルモネラ菌を発見したものの、Lactalisは「サルモネラ汚染の報告は法律で義務付けられていない」と主張、当局に届け出ることをしませんでした。しかしその後、特ダネで有名なフランスの週刊紙カナール・アンシェネ(Le Canard Enchaine)は、当のLactalis自身が認めているのもかかわらず、政府の検査官が昨年9月上旬に北西部クラオン(Craon)にあるラクタリスの工場に問題なしとの証明書を与えていたと報じたため問題は大きくなりました。

その後の報道によりますと、汚染は、クラオン工場の乾燥施設で5月1日から6日にかけて発生したと考えられています。また8月と11月に工場で採取された標本から、サルモネラ菌が発見されましたが、Lactalis社によりますとこれは製品自体ではなく、清掃具と床から採取された標本であるとのことでした。

しかし、実際にフランス国内で乳児の被害が報告されるようになったのです。フランス当局の発表では、フランス国内で35人の乳児のサルモネラ菌による被害が確認されたほか、スペインでの1人の被害が報告されています。
こうした被害を受け、昨年12月中旬、Lactalis社は、同社の「Milumel」「Picot」といったブランドの乳児用ミルクを昨年12月中旬、世界規模でのリコール対象としました。

最近の報道(2018/01/14)では「影響が及んでいる国々は83か国に上っており、これらの国々ではこれまでに粉ミルク1200万箱が回収された」とのことです。

ミルクの汚染というと、「森永ヒ素ミルク事件」を思い出します。事件の発端は1955年ごろでした。事件は西日本を中心に表沙汰になりました。わたくしは小学一年生でしたが、新聞やラジオで大きく扱われるようになった頃妹が生まれたので、ひとごととは思えず、子供心に心配したのを覚えています。
妹が産まれた1956年には、ヒ素中毒となった乳児は13,000人、死者は130人に上りました。しかし、今から思えばこの頃はまだ水俣病でさえ顕在化する前でした。被害者には、満足のいく救済措置は取られませんでした。
しかし、1970年ごろになると、中毒者の中に明らかにヒ素中毒による後遺症が出ていることが確認され、「消費者運動」から裁判闘争、森永製品不買運動へと広がりを見せました。
運動は、あの中坊公平弁護士が中心になって続けられ、1973年には森永ミルク中毒の子どもを守る会(、国、森永乳業の三者により、「確認書」が締結され、被害者を恒久救済することで合意し、森永乳業は救済資金を拠出することを約束することになりました。

乳児用ミルクにヒ素が混入した現場である徳島工場が閉鎖されたのは、2011年、死者が出てから55年後でした。

Lactalis社のミルクは日本には入っておりません。工場は違うので問題はないとは思いますが、PRESIDENTというブランドのチーズはLactalis社のものです。■

 

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