拙宅では、某全国紙を配達していただいています。毎日毎日、きちんと新聞が届くというのは、人力に頼らざるを得ず、大変なことです。

ブルゴーニュ大学での醸造留学から帰国して以来、それまで以上に土いじりが好きになりました。わたくしのガーデニングの先生は、近くの梨農家のおばあちゃん。おばあちゃんによると、どんな植物でも木の心の中に暦を持っていて、外のお天気と少しずつ調節しながらも、暦通り一年を送り、育っていくのだとか。人間はその暦のおこぼれを頂いているだけなんだそうです。

我が家には、14,15坪の庭と2-3坪の前庭(道路から玄関までのアプローチの間だけ)があるのですが、午後、前庭の世話をしていると4時に近い3時台に来るのが、新聞配達の叔父さん。拙宅のポストに新聞を入れるにはバイクを降りなければならないので、こちらから行って受け取るようにしていたところ、いろいろよもやま話をするようになりました。
右足が悪く、バイクの乗り降りがつらいこと、家族はおらず一人暮らしであること、自分も昔は土いじりが好きだったが狭いアパート暮らしなのでできなくなったことなどなど。


ところがつい先日、この叔父さんではなく別の方が夕刊を持ってきました。

「あれ、前の叔父さんどうなさったんですか」
「えっ」
「あの少し足の悪い背の低い方」
「あぁ、私の前にここを担当していたひと、・・・・・・亡くなりました」
「えーーーっ?」
「亡くなったんです、あの大雪で」

確かに、最近見たのは大雪の前日でした。その時は窓から見かけただけで、
声はかけられなかったのですが・・・


要領を得ない新しい配達員の話をまとめるとこういうことでした。

叔父さんは大雪の日いつものようにバイクで朝刊を持って出たのですが、
途中で帰ってきました。雪で滑って転び、頭を打ったというのです。
販売店の人はすぐに別の人間を手配し、叔父さんを家に帰し、夕刊配達も休むように
伝えました。しかし、叔父さんは翌日朝刊配達の時刻になっても姿を見せませんでした。
心配になった販売店の人が叔父さんの部屋を訪れると、叔父さんは風呂場で倒れ、
息をしていなかったそうです。

新しい配達員の方は、死因やご親族のことは何も知らない様子でした。

名前も知らない新聞配達員の”叔父さん”ですが、その叔父さんは、間違うことなく
私の土いじりや、日曜大工、近所の山の散歩、庭に作ったテーブルセットでのコーヒー
などと一緒に、確実に私の日常の一部だったのです。
逆に叔父さんの方も配達中におしゃべりするのは私だけ。叔父さんの世界では、
話し相手は販売店の仕事仲間と私だけということでした。

本当に人の死は突然訪れます。こちらが身構えていても、身構えていなくとも、
やはり突然です。

叔父さんが、免許証の入った財布を落としたときは、紛失時の再交付の手続きを
警察に聞いてあげました。、叔父さんが近所の交番で紛失届を出していた所、
3日経ってどなたかが届けてくれたのですが、免許証が見つかった日叔父さんは嬉しそうに
「免許証ありました。」
といつもでは信じられないような大声で伝えてくれました。


ある日叔父さんに年齢を聞くと●●歳とこたえました。
「それじゃあ、寅年?同学年じゃないですか。それにしてはおじいちゃんですねぇ」
「しょうがないですよ、苦労しましたから。今なんて楽な方です。夕方3時ごろから、そして夜は2時半位からこうして配達をすれば、生きていけるんですから。年金ももらえないし。この仕事頂けてずいぶん楽になりました」

無くなったとお聞きしたその時、
新聞配達の仕事で「楽になった」と笑った叔父さんの笑顔が一瞬蘇りました。

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