グラス片手に 良薬口に苦し

酒と医薬との関係については、いまさら述べる必要もないでしょう。酒は百薬の長という言葉もあります。

最近でこそ見かけなくなりましたが、昭和30・40年代には、町の医院の垣根に白いペンキ塗りの看板があり、黒々とXX醫院などど書かれていたものです。ものの本によりますと、この「醫」の上の部分は薬草などを封じ込めるというような意味で、もちろん酉は酒や口の細くなった酒壺を表わします。つまり、醫とは「酒の入っている壺に薬草を入れること」で、醫院はそうした「薬酒」を作る場所ということになります。中国の人は面白い字を考えたものです。

さて中国のみならず、こうした酒の作り方は、世界中枚挙に暇がないわけですが、(殆どのリキュールには香草や薬草が入っていますが、リキュールについてはまたの機会に)ワインの世界にもそれはあります。

アロマタイズド・ワインと分類されているワインがそれで、100種類を超える香草や、香辛料、薬草などを15日間熱して、そのエキスを抽出し、普通のワインとブレンドします。ヴェルモットというのがその典型ですが、これはドイツ語のヴェルムート(ニガヨモギ)から名付けられたもので、原型は修道院などで薬として作られていましたが、今のものは18世紀の終わりにイタリアやフランスで商品化されたものです。

1786年イタリア・ピエモンテ州トリノ市で甘口のヴェルモットは生まれました。ピエモンテ州は「バローロ」「バルバレスコ」という高級赤ワインで有名ですが、白ワインはそれほどでもありませんでした。窮余の一策として考えられたのがヴェルモットだったのです。このヴェルモットは、今でも「カルパノ・アンティカフォーミュラ」として再現されています。そして辛口の方はフランスで作られたのですが、800年以上前から薬酒を作っている南仏のトラピスト派エギュベル修道院では19世紀から一風変わったヴェルモットを作るようになりました。この薬草の主原料はキナの樹皮、あのキニーネの原料です。アフリカと昔から行き来にあった南仏、アテブリンのなかった当時マラリアの特効薬のキニーネを「酒に封じ込めよう」という発想は不思議ではありません。最近では、殆どのヴェルモットがこのキナを多かれ少なかれ使っていますが、一番の成分はやはりニガヨモギです。ショウガ、ナツメグ、バニラなど他の100種類以上の香草や薬草は他から買っても、ニガヨモギは自家栽培、というメーカーは少なくありません。CINZANO、MARTINIという名前をお聞きになったことは多いのではないでしょうか。MARTINI社ではワイン用の葡萄よりもこのニガヨモギ栽培に細心の注意を払っています。

ところで、ヴェルモットには普通のワインのように赤と白があります。甘口の赤(伊語:ロッソ、仏語:ルージュ)、辛口の白(伊語:ビアンコ、仏語:ブラン)ですが、この赤というのは、赤ワインではないのです。赤いヴェルモットの赤は人工的に付けられています。実はキャラメルを溶かし込んであるのです。良薬口に苦し、その苦味をとるために、糖分をたっぷり入れてあるというわけです。■

この稿は、医歯薬出版社『メディカル・テクノロジー』2005年5月号に掲載されたものです。
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