グラス片手に 大航海時代
ヨーロッパ列強が“ジパング”を目指した15世紀の大航海時代のキーワードは、スパイス、金そしてキリスト教の布教でした。そしてもちろんワインも重要な要素でした。ポルトガルは東回り航路を、スペインは当時海図もなかった西回り航路を選びました。
ポルトガルの目的はスパイスでした。その頃、遠くインドのボンベイなどで主に回教徒によって買い付けられたスパイスは、紅海経由の船やシルクロードで、イタリアの貿易都市ジェノヴァやヴェニツィアに運ばれました。あの『ヴェニスの商人』の舞台となったヴェニスツィアです。その先ヨーロッパ各地に着いたスパイスは何百倍の高値になっていました。そこで、ポルトガルが目論んだのは、ボンベイでの直接買い付けでした。
しかしなぜ、英仏戦争真っ只中とはいえ、この大航海時代にあの大英帝国の名前が出てこないのでしょうか。イギリスは、北海、北大西洋の貿易ではそこそこ活躍していました。ワインを求めてフランスまで行きました。しかし、ジブラルタル海峡を抜けて、地中海に行くのも「冒険」でした。ある歴史家は、他国との派遣争いも勿論だが、「壊血病」がその理由だったのではないかと推測しています。
ポルトガルやスペインの遠洋航路の船乗りと較べ、イギリスの船での壊血病の発症率が高く、1000人で出かけても数十人しか戻ってこないなどということがありました。勿論死因としてはほかにもあったでしょうが、これでは遠くへは行けません。壊血病、すなわちビタミンC不足です。それでは、ポルトガル人たちはどのようにして長い船旅の間ビタミンCを摂取していたのでしょうか。
それは、ワインだという説が古くからあります。ポルトガル・スペインの積載したものと、英国とのそれを較べると、明らかにワインの量が違うのです。当時のワインは現在のように熟成させるために半年から一年半寝かせることはしませんでした。だからフレッシュで果汁にアルコールが加わったようなものだったのではないか、だからビタミンを摂取できたのではないか、という考えです。葡萄は果実ベースでビタミンC を100g中4.0mg含みます。当時はビタミンCは勿論のこと、壊血病という概念もなかったのですが、知らず知らずのうちに、言い伝えを守ることで命を守っていたのでしょうか。
現在では、むしろ赤ワインのポリフェノールの有効成分の一つである「OPC」(オリゴメリック・プロアントシアニジン)が、ビタミンCの酸化を防いだり、ビタミンCが働く際に手助けをする働きをするビタミンPの役割をしていたのではないかと考えられています。
ところで、そうしたポルトガルのある船にワインを積んで、インドまで行き、戻ってきた時に余ったワインを飲んでみた所、大変甘く、アルコール分も高く、美味しくなっていました。往復4回の赤道越えをする際の暑さと船の揺れがワインを“変質”させたのです。人々はそうしたワインを作るために、わざわざ船にワインを載せ往復させる事まで始めます。
1549年、ポルトガルの宣教師フランシスコ・ザビエルが島津貴久に献上したものも、織田信長が清洲城で飲んだ「珍陀酒(チンタシュ)」(ポルトガル語の赤ワイン:ヴィ-ニョ・ティントより)も甘く、アルコール分が高かったのでしょうか。
この稿は、医歯薬出版社『メディカル・テクノロジー』2005年6月号に掲載されたものです。
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