グラス片手に コロンブスの土産

マルコ・ポーロの『東方見聞録』をきっかけに大航海時代へと突入したヨーロッパではポルトガルの活躍を追いかけるようにスペインが動き出しました。1492年1月、イタリア人コロンボつまりコロンブスの航海計画がスペイン女王から認められたのです。コロンブスの計画が認められたのには理由がありました。他の同じ様な「冒険家」達とは違う点があったのです。

コロンブスは、遥か東方の黄金の国「ジパング」を目指すというのです。しかも、東には行かずに、西を目指すと。イスラム教徒やポルトガルの宣教師のいない手付かずの布教の地が欲しい、ジパングの金も欲しいスペイン女王にはお誂え向きの提案でした。許可を得てから数ヶ月で、スペインとイタリア・ジェノバで資金を集めたコロンブスは、スペイン南部のヘレスに立ち寄り、普通のワインよりもアルコール分が強く長持ちするという評判が立っていたヘレスのワインを積み込みます。今で言うシェリー酒です。

ヘレスには、紀元前8世紀頃のフェニキア人がワイン作りをした遺跡が現存しています。13世紀頃の記録によりますと、その頃からヘレスのワインはアルコールが強かったそうですが、その頃どのようにつくられたかは、判明していません。

同じ年の8月にスペインを出発したコロンブスは、今のキューバなどの西インド諸島などを回って、キューバを中国本土、ハイチをジパングと思い込んだまま、翌年スペインに帰り着きます。コロンブスの一行は、砂金が多く、現地の人々が金の飾りを身につけていたエスパニョーラ島(ハイチ)から金を持ち帰ったため、大歓迎を受けます。

コロンブスが新世界から持ち帰ったのは、実は金だけではありませんでした。とうもろこし、ジャガイモ、トマト、(食用の)ぶどう、カカオ、タバコなどでした。4回に渡る西への航海でコロンブスは後から考えるとヨーロッパにとっては偉大な功績を残しました。

よくコロンブスがいなかったら、あのイタリア料理のトマトベースの味はなかったと言われますが、そればかりではなく、例えばジャガイモひとつとってみても、北欧の蒸留酒アクアビットやロシアのウォツカはなかったのです。タバコは1493年にヨーロッパに持ち帰られていますが、ちょうど50年後の1543年、種子島銃と一緒に日本にお目見えしました。

また逆に新世界に持ち込んだものもありました。ウィスキーやビールの原料の小麦や大麦、ワイン用葡萄などです。11-12世紀頃インドから中東やアフリカに伝わった砂糖きびも、このコロンブスの旅で大西洋を渡ります。砂糖きびはヨーロッパよりもこの地に合った植物でした。砂糖きび生産地はあっという間に広がり、貴族しか口に出来ないはずだったヨーロッパの砂糖の値段が暴落するほどでした。この暴落した砂糖を使ってつくられるようになったのが、お菓子でした。一方、新世界の生産地では砂糖を搾り取った廃物を利用して、新たな生産物が作られるようになりました。ラム酒です。3回目の航海の際、コロンブスはタバコの語源ともなったトバコ島とトリニダット島の間を通って南米大陸に到達しています。また、4回目には、今ではフランス領となっているマルティニク島を発見しています。このトリニダットもマルティニクも今では有数のラム酒の生産地として知られています。

コロンブスの航海に端を発したお酒の種類を数え上げると両手では数えられないかもしれません。

この稿は、医歯薬出版社『メディカル・テクノロジー』2005年7月号に掲載されたものです。
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