グラス片手に 地中海を渡る壺

1922年あのツタンカーメン王の墓が初めて開かれた時、数々の宝物と一緒に、36個の陶器の壺が出土しました。ワインの入れ物といえば、今では世界的な標準は、750mlの瓶ですが、昔はガラス瓶など高価で使っていませんでした。紀元前1700年頃のピラミッドの時代からギリシャ・ローマ時代、更に中世に至るまでワインはアンフォラという陶器の壺に入れるのが普通でした。運送用のアンフォラは70センチから1メートルくらい、つぼを長く伸ばしたような細長いもので、上に注ぎ口があり、取っ手が二つ付いており、中央より下の部分は細く、底はとがっています。丁度直径3-40センチ高さ1メートルくらいの赤土色をした太目の大根の形を想像していただければと思います。

下がとがっているのはなぜか。これは以前から私も本当に不思議に思っていました。中にワインが入っているのにどのように置いておくのか、どのように運ぶのか。数年前コートダジュールのとある考古学博物館を訪ねた時やっとその答えが見つかりました。それは、地中海の海底から見つかったローマ時代のワイン運搬船の実物大の模型でした。同じ大きさのたくさんのアンフォラはU字形にカーブを描く船底に楔を打ち込むように積み込まれていたのです。それでは船から下ろしたらどのようにおくのか。博物館の館員が説明してくれました。「昔の港は今のようにコンクリートの桟橋などなかったのですよ。大体は沖に停泊しそこから小船で遠浅の海岸に乗り上げて荷揚げをします。陸についたら砂浜か地面にさしたのです。またアンフォラが入る穴を掘ればそのまま定温で保存できますから。」

さて陸揚げしたあとはどのように運ぶのでしょうか。海岸から近くはともかく、遠くへは馬かロバが引く荷車で運ぶのですから、重い陶器は運搬には向きません。内側に樹木の油や蝋成分を染み込ませたり、塗りつけたりした皮袋で運び、目的地で再びアンフォラに移し換えました。ギリシャに未だに残るマツヤニ入りのワインは、「マツヤニで皮を防水加工した皮袋で運んだワインが意外と美味しく、それが元でマツヤニを入れるようになった名残ではないか」という説もあります。

陸上でのアンフォラは、鼎のようなもので支えられたり、部屋の隅に立たせておいたりしました。紀元前、大富豪の屋敷では暖房用の暖炉から出る煙と熱が通る部屋を二階に作り、そこにワインを置いたそうです。もちろん熟成させるためです。また、火山灰のおかげで町全体がそのまま保存されているポンペイの遺跡には、大きな陶器製の壺を数個石組みのカウンターに埋め込んだワイン屋が今もそのまま残っています。一杯飲み屋の喧騒が聞こえてきそうな遺跡です。こうして2000年以上の間地中海を運ばれたアンフォラは数百万個と呼ばれており、今ではほんの数センチのかけらがあれば、何年前にどこの国で作られたか同定できるデータベースが出来ているという事です。

ツタンカーメン王の36個のアンフォラのうち26個にはラベルがついていました。それには王家のスタンプ、収穫年、主任醸造者名のほか、極上品かどうか、甘口かどうかも記入されていました。その当時も「ツタンカーメン暦5年のシャトー・スフィンクス」なんて感じだったのでしょうか。

この稿は、医歯薬出版社『メディカル・テクノロジー』2005年11月号に掲載されたものです。
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